ノマドランド NOMADLAND (N-4)

CINEMA-2
NOMADLAND | Morning Coffee Clip | Searchlight Pictures

ミニマリズムがもたらすもの

ブログのようなレビュー 《ネタバレあり》

(つづき)
ここまで、車中泊生活に注目してみましたが、本作はもちろん「ドラマ」が主体。
ここからは、ドラマ部分のお話をします。

ファーンはその後、バッドランド国立公園の清掃作業員や
レジャー施設のレストランの従業員など、各地で臨時の仕事を転々としながら放浪する。
このバッドランドあたりから、ファーンに個人的な興味を示すデイヴとの交流が始まり、
ファーンもデイヴとの時間をそこそこ楽しんでいる。
ちなみに、もし自分が車ノマドするなら、デイヴの車くらいの内装が望ましい。
デイヴは、ノマド生活で体調を崩したのを機に息子の家に戻り、後にファーンがデイヴを訪ねる。

デイヴの住む家は丘陵にある一軒家で、居心地の良い雰囲気だった。
ファーンが訪ねてくると、家族全員があたたかく彼女を迎え、大きなベッドのある綺麗な部屋も用意されていた。
家の外にはデイヴのヴァンが放置され、ファーンはデイヴがすでにノマド生活を諦めてしまったことを知る。
デイヴはファーンに、彼らの家族の一員として迎えたいと申し出る。
その夜、清潔なシーツが敷かれた広いベッドにひとり横たわりながら、
ファーンは居ても立っても居られない様子で、自分のヴァンに駆け戻り狭い寝床に潜り込んだ。

なぜ彼女はヴァンに戻ったか?

デイヴたちとの生活、どんな感じだろう?彼女の頭を想像が巡っただろう。
デイヴと暮せば生活の心配もないし、彼は優しく紳士だ、楽しく暮らせるかもしれない。

それまでの彼女の旅は、思い出の皿や写真、過去の人生の延長で送られていた。
新しい人間関係を始めると、夫への思いやこれまでの人生が消えてしまうような気がしたからかもしれない。
ただ、同時にデイヴの家での経験で、彼女は彼女自身のアイデンティを意識したのではないか。

デイヴの提示した未来は魅力的とも言える条件だったが、それに踏み切ってしまうと、
ファーンは“自分らしさ”を失ってしまう気がしたのだろうと思う。
孤独でいると、自分自身と対峙する機会ができる。
ファーンは、放浪しながら孤独でいることで自身に向き合い、「自分」として生きること、
誰にも依存せず誰にも縛られず「自立」すること、「自由」に気づいたのだろうと思う。

デイヴの家を去ったあと、カリフォルニアの海岸で風に向かい荒波のしぶきを浴びながら、
自然の中に生きている小さな一つの存在として、ファーンは「自分」として大地に立った。

ファーンが姉を訪ねた時、姉は、ファーンの気質について、「勇敢」「正直」と語り、
ファーンが家族から思い切りよく離れ、新天地での夫との生活に踏み切った過去、
その気質を持っていながら、夫が亡くなった後に何もない寂れていく土地に住み続けたことに、
姉は「ファーンらしくない」と思っていた。
ファーンが過去に囚われすぎて忘れていた、自由で自立した本来の自分を
思い出させていくのがこの放浪の旅だと思う。

ファーンのそんな性格は、バッドランドの小ツアーから離れ、
ひとりで勝手に散策する場面にすでに表れていた。あれが、ファーンらしさなのだ。

その後、再びアリゾナの砂漠の集会でノマドコミュニティのリーダー“ボブ”に、
ファーンは、「過去を覚えておくことに時間を使いすぎた」と語る。

旅の途中で割れた皿は、彼女へのアドバイスだったのだろう。
エンパイアの町に戻り、倉庫に残したものを全て処分する。
今も廃工場に残るマグカップ、昔住んでいた家の裏に広がる荒野の景色、
「過去」に別れを告げて、彼女は再び道に走り出る。
過去を手放したこの旅立ちは、身軽だ。

物が減り、人付き合いが減り、自分と向き合う時間が増え、
過去の思い出、思い込みなどの縛りに気付き、それを手放していく。
まさに、ミニマリズムの流れだ。

彼女のノマド生活は、現実的な生活手段として始まったが、
結果、彼女自身のアイデンティを見出す人生経験となったのだ。
(つづく)

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